2011/11/28

三輪宝?

ウィキペディアの記事です
三隣亡の由来は全く不明で、いつ頃から三隣亡
の慣習が始まったかは判明していないが、
江戸時代に入ってから確立されたとされる。
実際、三隣亡は、江戸時代よりも前の古い
暦注解説書には書かれておらず、江戸時代に
なってから見られるようになっている。
江戸時代の本には「三輪宝」と書かれ、
「屋立てよし」「蔵立てよし」と注記されていた。
すなわち、現在とは正反対の吉日だったことになる。
これがある年に暦の編者が「よ」を「あ」と書き間違え
、それがそのまま「屋立てあし」「蔵立てあし」と
伝わってしまったのではないかとされているが、
真偽は不明である。
後に、「三輪宝」が凶日では都合が悪い
ということで同音の「三隣亡」に書き改められた
経緯がある。
以上引用

>これがある年に暦の編者が「よ」を「あ」
と書き間違え、それがそのまま「屋立てあし」
「蔵立てあし」と伝わってしまったのではないか

こんな単純な間違いがあるはずがありません
これが本当だというのならすべていい加減だ
と疑わなければ成りません
間違っていない部分はどこですかと聞きたくなります

ここで占いを職業とする人間の立場で考えてみましょう
この日はいい日ですよと言って家を建て何かあった場合
あの占い師はいい加減だと言われます
悪日ですよと言っておいたの建てて何かあったら
ほら言ったでしょういえます
占い師としては良い日が少ないほうが有利なわけです
これを江戸時代の人がやったわけです

ここまでわかれば江戸時代の
占い師の都合で勝手に「三隣亡」とされた日を
そのまま受け入れるかどうか
自ずから結論が出ると思います
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